今回は選抜コース*1一期生の林志洋さん。
とにかく行動!の彼の半生、聞いているだけで、ワクワク。何でもできるような気になってきます。
80億人をアントレプレナーに
今年1月、スイスでの世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に参加して帰国したばかりです。
私がやっている起業家教育の活動を評価していただき、世界50名の次世代リーダー(Global Shapers Community代表)として選出されました。
現在、「80億人をアントレプレナーに」をライフミッションとして、様々なプロジェクトを立ち上げています。特定の企業に所属するのではなく、個人で会社を設立して、複数の企業や組織と協業しています。
まず、EDGEof というスタートアップ支援の会社。ここでは海外スタートアップの日本進出支援や、日本の大企業の新規事業の支援などを行っています。
前職では戦略コンサル会社に勤めていたのですが、会社設立時に立ち上げメンバーとして誘われたのが関わることになったきっかけです。学生時代からイノベーションを社会に生み出す仕組みを作りたいと思っていたため、これ以上ない機会だと思い新卒で入った会社を離れました。
しかし、移った途端に「イノベーターであるには、雇用されるのではなく業務委託で個人として戦え」と言われて、やむなく自分の法人を立ち上げる羽目になりました(笑)。
とはいえ、これが良い契機になり、今では複数の法人に跨って、自由に仕事をしています。
例えば、
- 学生時代に立ち上げたNPO法人Bizjapanの代表理事をしており、
- 若者と退職した高齢者をつなぐ「ゼロイチシニア」(NPO法人Bizjapan、Global Shapers Community 横浜ハブの共同プロジェクト)や、
- 横浜市男女共同参画推進協会と協働して女子大生向けのアントレプレナーシップのプログラム「ゼロイチ女子」(Global Shapers Community 横浜ハブ主催)に関わったり、
- HLABという教育スタートアップで、下北沢に新たに建設される寮での学生向け・企業向けの教育プログラムの設計を行ったり、
- 長野県小布施町での政策づくりや、栗を活用したバイオ燃料事業(長野県共催「信州ベンチャーサミット」ファイナリスト選出)、
など、いろんなことをやっています。
バラバラなように見えるのですが、共通しているのは、社会の資源や人間の能力を最大限に活用して新たな価値を生み出すこと、そしてそれを通して人が学ぶことができる仕組みを作ることです。
ライフミッションとして掲げている「80億人をアントレプレナーに」は、世界80億人が目標に向かって行動を起こせる社会を作りたいという思いを込めています。
成功しても失敗しても何かを得る
発端は大学生の頃に遡ります。
大学3年生の時に、1年間シンガポールに留学したのですが、ちょうど選挙の時で、「日本みたいな失敗国家になってはいけない!」という演説を聞いたんです。日本ってそういう位置なのかと、すごくショックでした。
外から見ると、一定の成長を遂げて経済停滞のさなかにあり、高齢化が進んでいる日本という国ですが、課題先進国として動きが注目されているという見方もできました。実際、日本には日本で、面白い取り組みをしている組織や起業家はたくさんいるはず。
しかし、それらの多くが日本語だけで発信されていたり、日本国内だけに留まっていて海外では知られていない。
一方でシンガポールは、「世界のハブ」と呼ばれていて、世界中から人が集まっている。留学生もたくさんいて、アントレプレナーもたくさんいた。
ただ、言語や組織の壁が大きくて、日本のプレゼンスがすごく低かった。
でも面白い取り組みはあるんだから、僕がつないで見たいと思ったんですね。
それで、シンガポールと日本の両方の大学にそれを提案したら、あっさりOKが出て、しかも「2か月後に、日本に学生を送るからよろしく!」と言われてしまって。やるしかないから、言い出した責任を取って、スタディープログラムを作ることになりました(笑)
当時学生ですから、経営者の知り合いがいなかったし、「企画書って何ですか?」というレベルだったのですが、日本について知ってもらうためのプログラムを、文化、技術、ビジネスという切り口で企画しました。その費用をなぜか一旦自分が立て替えることになって、120万円借金抱えそうになり、胃潰瘍になるくらい追い込まれましたね(笑)
それが2011年12月です。これが、今も続いているNPO法人のBizjapanの元になりました。
もともと「日本と世界を繋ぎたい」と思って活動を始めていたので、単発で企画を終わらせるのではなく、翌年以降も活動を続けようとは思っていました。
ただ、せっかくやるなら日本とシンガポールの学生交流だけやっていても面白くないなと。
それで、二つの「成長方針」を志向するようになりました。
一つは、世界中への発信。シンガポールで出会った世界中の友人にアプローチした結果、2年目には中国や韓国をはじめ世界10か国から、参加者が来るようになりました。
もう一つは、交流プログラム以外の新規企画の立案です。例えば、日中韓米の大学生をつないで4か国でハッカソンをやってみたり、企業から数百万円の予算を頂き、学生起業家向けの1か月間シリコンバレー修行プログラムを企画したりしました。
最初は思い付きで始まった企画が、ここまで大きくなるとは予想だにしていませんでした。
僕自身は、起業やビジネスそのものに興味があったわけではないのですが、この経験を通して、理念を実現するためゼロイチで何かを立ち上げるという経験は非常におもしろいと思うようになりました。
これが僕のいう「アントレプレナーシップ」ですね。
当時就活の時期でしたが、周りの友人を見ると、どうも今ある選択肢からそれっぽいものを選ぶというのがしっくりこなくて。
アントレプレナーシップはビジネス分野に限ったものではない。取り組みたいミッションがあってそれに取り組めば、成功しても失敗しても何かを得る。新たなオプションを自分で作り出そうとする、
その体験自体が素晴らしいと思うし、そういうポジティブな生き方を少しでも世に広めたい、と思うようになりました。
今更、人と違うことについてはどうとも思わない
当時、一応内定はもらっていたのですが、立ち上げた「Bizjapan」をどうしようかな、と。
ほとんどのチームメンバー卒業を迎えることになっていたので、人がいなくなって解散というのはちょっともったいないと思って、内定を断って大学院に進学することも考えるようになりました。Bizjapanをもう少し面倒見たかったがために(笑)。
そうしたらちょうど、「キャンパスアジア」という日中韓の大学院留学プログラムが第一期生を募集していて。それがまさに、僕のためにあるような留学プログラムで、すぐさま飛びつきました。
これは、日中韓の関係が冷え切っていた当時、政府主導で大学院間の交流を図るというもので、僕は北京大とソウル大に留学をしました。英語に加えて、学部時代に勉強した中国語や韓国語も活かしながら、自分の専門であったアジアの国際関係と公共政策について学ぶことができる素晴らしい機会でした。
そのプログラムで物理的に日本を離れることで、Bizjapanを僕がいなくても回る組織へと変える準備期間がもらえたようなもの。仲間はみんな卒業したので、僕一人から、再スタート。新生Bizjapanには、僕が持っているすべてを伝えて、自分がいなくても何かが続いていくような仕組みを作りたいと考えました。
仲間を再募集すべく、チラシを作り、学部のオリエンテーションで配って、そしたら意外に反応が良くて、100人くらい面接することになりました。それと同時に留学準備をしていたので、とても忙しかったですね。
無事留学した北京大では、中国語でも講義を受講。学部時代に学んではいたのですが、1冊すべて読んでプレゼンするような講義もあり、苦労しました。
また、比較的リベラルな考えを持っている教官も多く驚きました。日本にいる頃抱いていた中国のイメージは、やはり「西洋」の影響を受けていた。中に入れば、彼らの主張もよくわかるし、外側から批判しているだけではだめだなと思いました。
実際、政治分野では警戒されていますが、マーケットではAlibabaをはじめ、ポジティブに受け取られている中国法人も多くありますよね。北京大では、中国の経済発展とイノベーション政策について修士論文を書きました。
ソウル大学では、国際法を専攻しました。韓国人って語学能力が高くて、韓国語と英語、プラス1か国語の3か国語ペラペラなのが当たり前。キャンパスアジアに参加している学生は、4か国語話せる人も珍しくなく、自分も負けていられないなと刺激を受けました。
そして2015年に帰国して、Bizjapanにもう一度戻ったとき、うまく回っている部分と、ひずみが出ている部分があって、もう少しサポートしたいな、と思ったのと、企業とのプロジェクトを回していきたかったので、半年ほど就職はせずに、そのまま後輩をサポートしながら、声かけいただいた会社でインターンをして生活していました。言ってみれば「フリーター」ですね(笑)
3月31日までは学生、4月1日からは社会人、っていう区切りが、あまりにも意味がないように感じて。それまでも働いていたし、生活するのに必要なお金は稼げそうだし、「何とかなるんじゃないかな」と。
一旦そう思うと、試さずにはいられなかったんです。これまでの道も、普通とは違っていたし、今更、人と違うことについてはどうとも思わなかった。
ただ、その生活をしていると、何となく自分の成長カーブの限界が見えてきたんですね。精神力が弱くてすぐに怠けるし(笑)
「一度、環境を変えて、厳しい環境に身を置いた方がいいな」と思って、グローバル系の戦略コンサルに就職しました。
コンサルを志望したのは、それまでプロジェクトの立ち上げはやっていたけれど、それをスケールさせ、社会に結果を残すこと経験したかったから。
世間でいう「大企業」が、どのくらいの粒度感で意思決定をしているのかを感じてみたかったんです。
そこに勤めているときに現職のEDGEofに誘われて、個人でも会社を設立して、今に至ります。EDGEofは、スタートアップの成長に必要なものは全て、それも各界のスペシャリストを集めて繋げることで「集団の力」によって、社会のさまざまな課題を解決していくというコンセプトの企業です。
面白いというアイデアは、個人ではなかなか形にするのは難しいですが、それをコミュニティとして支援するエコシステムを作りつつ、自分たちも手を動かしながらビジネスとして育てていく、そんなサービスを提供しています。
海外スタートアップの支援では、昨年イタリア政府からの案件もありました。直近は米国の脳科学マーケティングスタートアップの日本事業展開に関わっており、日本法人の執行役員も経験しました。
世界の潮流と自分の理念が重なった
さて、1月に参加したダボス会議では、色々な意味で「仕事」の在り方が変わってきていて、社会の変化に応じた教育が重要になってくる、という議論が多く聞かれました。
分かりやすいところだと、人間の仕事が機械によって代替されたり、「働き方改革」が叫ばれたり、Uberなどをはじめとした「ギグエコノミー」と呼ばれる仕組みで格差も拡大したり。
ここで重要なのは、プログラミングなどのIT教育を通じた「ハードスキル」に加えて、複雑な課題に対して多くのステークホルダーを巻き込みながら解決していく「ソフトスキル」であると。
これはまさに、僕がこれまでやってきた「アントレプレナー教育」の文脈が一致するなと、世界の潮流と自分の理念が重なった瞬間でした。
日本は、いろんな面で恵まれた国です。
チャレンジしたければいくらでもできる。
一人一人の「こんなことができる」「こんなことが好き」を形にして、まずは日本で成功事例を作ったうえで、ゆくゆくは世界80億人みんなが好きなことをして暮らせるように、活動の舞台を世界に移していきたいと思っています。
すべては部活のため、の高校時代
子ども時代は、普通のいい子だった気がします。(といったら、両親からは笑われそうですが……(笑))
塾に楽しく通い、大きな疑問も抱かずに中学受験をして。小6は、これまでの人生で一番勉強した気がします。恵まれた環境だったと思います。
中高は、のびのびした男子校で、中学の時はバスケ部だったのですが、身長が伸びなくて、得意でもなく、チームも強くもなく……。
そんなときに、吹奏楽部の先生が、僕が音楽が好きなのを見抜いてくれて、誘ってくれました。
それで、高校からは吹奏楽部に入り、サックスを始めました。朝練、昼練、放課後練と、高校生活の95%は部活に捧げました(笑)
高1では地区で県大会どまりだったのが、高2では関西大会、高3は関西大会の金賞を目指して、頑張りました。
だから、高3の夏休みもずっとコンクールの練習。県大会の結果発表で関西大会に行けると決まったとき、生徒席は野太い歓声が上がったけれど、保護者席は「これで、また受験体制に入れない……」と、静まり返っていたのを覚えています(笑)
でも、部活があり、予備校に行けないからこそ、受験勉強を効率よくやって行こうと取り組みました。
授業で全部吸収しようと集中して聴いて、質問しまくって、ちょっとおかしいくらい熱心な生徒でしたが、すべては部活のため、でしたね。
今好きなことは、プロジェクトの立ち上げ……(笑)なので、普段も仕事との境目がないんです。
強いて言うなら、最近は朝にジムに通うようにしていて、それが楽しいです。
仕事しすぎて不摂生で太ってきたなと思っていたところ、友人がパーソナルトレーナーとして独立したので、彼に指導してもらいながら食事と運動を制限して、11キロの減量に成功しました。これは、自分の中で唯一習慣化して、コツコツ続けていることかもしれない。
好きな本は定番ですが「人を動かす」。
それから、「リーダーシップの旅 見えないものを見る」。この本で学んだ「リーダーシップ」という概念は、その後の自分のコミュニケーションに影響を与えています。
仕事関係では最近、シニア世代の方の生の声を聞きたいと思って読んだ「リーン顧客開発 ―「売れないリスク」を極小化する技術 (THE LEAN SERIES) 」という本が参考になりました。
たいていの不安って、大したことじゃない
前田さんとの最初の出会いは、2011年の「ビジネスメンターシップ」というセミナーです。Bizjapanを立ち上げたばかりの頃、社会人の知人が薦めていたのを見て参加しました。
そこで講師をしていた前田さんと知り合って、ホームパーティーに呼んでもらうようになり、選抜一期生の募集案内……というほどしっかりしたものではなかった気がしますが(笑)、それを聞いて。
内容もためになりそうだし、実験台になってみるのも面白そうだし、何より前田さんが選んだ人と交流するのは楽しそうだな、と思い参加しました。
それまでの交流を通じて、前田さんの人の本質を見抜く力をすごく信頼していたので。
その後自分が事業を動かすようになったときに、スムーズに色々な概念を理解できた際には、学生時代に受講していて良かったなと実感しました。
何にかを自分で試してみたいけれど漠然と不安を抱いている人には、前田塾でいったんビジネスのイロハを学ぶことで、心がすっきりすると思います。
たいていの不安って、大したことじゃないから。ベーシックなスキルを前田塾で学ぶと、本当にやりたいことにフォーカスできるようになります。
なので、今のBizjapanの現役の学生にも、前田さんに弟子入りすることを勧めています。
社会人としての未熟さ(という思い込み)から漠然と不安を抱えていて、一歩前に進んでみたい人は、参加してみると良いのではないかと思います。
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Callingには「天職」という意味があります。
その呼び声を無視せず、その時々の直感に呼ばれて、ひとつひとつ決めてきた結果が、林さんの人生の中でだんだんとつながってきたようです。
「成功しても失敗しても何かを得る」
という林さんの言葉には、うなずいた読者も少なくないでしょう。
変化の激しい現代社会では、過去の成功法則が通用しないことも多々あります。
限られた人生ですから、勇気を持って、どんどん挑戦していきたいですね。