In Our Time | 前田塾塾生白書 ~ 仲間に出会う。時代を創る。

前田塾参加者をつなぐ 新世代型コミュニティチャンネル

第14回 岡浦 加奈さん(2013 選抜コース1期生)

今回はなんと、2013年前田塾開講時の生徒さん、つまり1期生の方がご登場。

新卒でベンチャー企業に就職し、外資系戦略コンサルティング会社に転職しご活躍されていえる岡浦加奈さんをご紹介します。

「先に大手、というのはよくあるのですが、私は逆を行きました」その理由も語ってくださいました。[Text: 西岡妙子] 

 伴走できることが成長につながっている 

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外資系戦略コンサルティング会社に勤務して4年目になります。

新卒で、当時20名程度のPR会社に就職し、2年間勤めました。最初の就職先としてベンチャーを志望したのは、自ら提案に関わり受注を受けて制作し、納品し、お金をいただく……そのお金を生み出す流れ全体の経験を積みたかったから。それを体験できそうな規模感の企業を探していて、良い出会いがありました。

そこで様々なお客様のPRやマーケティングに関わる課題解決をご支援しているうちに、その前後の工程にあるような製品開発から営業、またはより上流の経営に関わる課題も見えてくるようになりました。そういった経営全般に関わる課題解決に興味を持つようになったものの、PR会社の看板ではお客様に提案できません。それでより幅広い企業の経営課題に携わるコンサルティング業界へ足を踏み入れることにしました。経営者とともに働きたい、また、海外で働きたいという思いもあり、外資系の戦略コンサルに絞って転職活動をしました。

現在の業務は、プロジェクトベースで、1~3か月ごとにお客様が変わります。テーマはもちろん、業界も変わるので、その都度イチから勉強です(笑)。経営者の方々のお悩みに向き合うわけですから、テーマは簡単なものではないし、苦しいこともあります。毎回もうこれ以上は伸びませんというところまでストレッチをさせられるような感じです(笑)。でも、新たな意思決定がされ、変化が起きる、そのプロセスはほんとにおもしろくて、それに伴走できることが自分の成長にもつながっていると感じます。

様々な業界の方々と協働してきましたが、今関心があるのは「ヘルスケア」分野。日本のみならず、世界中の関心を集めているトピックですよね。デジタル技術の導入や新薬開発をはじめ、海外進出に挑戦する企業も多く、まさに今過渡期だなと思います。

私自身の課題は、現場チームの責任者の一人として、お客様との関係をどう作っていくか、ということ。与えられた仕事をこなすだけでは、満足する結果は得られません。お客様を巻き込み、提言を実行していただけるような流れを作っていく。毎日が挑戦です。

長期的な目標は、日々様々な業界の課題に向き合っているものの、自分の中に明確な原体験がなくて……人生を懸けて「これをやりたい・これを解決したい」というものが見えたら、大きな挑戦をしようと思っています。具体的な人生目標がない今は、むしろ、やりたいことがある人、パッションを持った経営者の右腕として、その人の夢を実現するサポートができたらいいなと思っています。国内外問わず、好きな場所で、好きな人たちと、仕事をしていきたい。夢がある人のサポートができるような武器を身に着けていきたいと思って今の自分を位置づけています。 

 人からの評価指標で 自分の人生を生きていた

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さいころはというと、当時から自立心が強く、一人でどこかに行っちゃう子でした(笑)。幼稚園のころ、必要なお金だけ持って、バスに乗って駅前の本屋さんに本を買いに行ったこともあります。料理をしたり、重い荷物を持ったりする時も、親に手伝わせない子供だったそうです。

大学に入って初めてパスポートを取得したのですが、その5日後には航空券を取って韓国に行ってきました(笑)。両親は、やりたいことにあまり反対せず、自由にさせてくれていましたが……半ば諦めていたのかもしれませんね(笑)。何も言わずに見守ってくれて、本当に感謝しています。

そんな性格ではあるものの、中高時代は真面目で、典型的な優等生タイプでした。勉強ができるという意味で目立ったがゆえに、気づかぬうちに周りの先生からの期待や、勝手に美化された優等生イメージにがんじがらめになっていて。

大学受験に失敗をして、志望校ではない大学に入学した後、偶然大学内で同じ高校の知り合いに会って「あれ、なんであの岡浦さんがこの大学にいるの?」と純粋に驚かれたことがあるんです。その時はひどく挫折感を味わいました。

でも、それがきっかけで「これで挫折感を覚えるということは、結局人からの評価指標で自分の人生を生きているんだな」と気づいたんです。「人からの期待や敷かれたレールを辿ることを自分の目標にすり替えるのは楽だけど、後で振り返った時に自分で考え納得して選んだ道だと思える人生にしないといけないな」と。

大学の友人たちが有名な大手企業に就職する中、あえて無名のベンチャーを選んだのも、こういった経験も繋がっているのだと思います。

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スロベニア ブレッド湖

プライベートは、国内外いろんなところに旅行に行っています。特に思い出に残っている国は、スロベニア。現地の方の家庭に宿泊させてもらったのですが、景色が良くて、人があたたかく、のどかで穏やかで。あくせく働くことがすべてではないと感じました。

社会人になってからは日々、平日は思いっきり働きますが(笑)、土日は月に1回は国内旅行に出かけたり、プロジェクトの合間には海外旅行に行ったり、自分が普段生活の大半を過ごすコミュニティや社会の外に出て、息が詰まらないように、そして視野が狭くならないように意識をしています。

そういった意味では、本も非日常の世界を体験できる一つの手段だと思っていますが、私の場合は基本的には仕事で必要なものを読むことに追われています。仕事関連以外で最近読んだ本の中では、巷で話題の「サード・ドア」がおもしろかったです。それこそ敢えて思い込みのレールから外れることや、人生の価値観について考えさせられました。

生き方として折に触れて読んでいるのは、「白洲次郎 占領を背負った男」という本です。学生時代、進路を考えているときに人に勧められ手に取ったのですが、彼の生き方は本当にかっこよくて、信念を持って生きていく姿にあこがれています。私の座右の銘は「意志あるところに道あり」で、まさに彼はそれを体現しているような生き方をした人なんです。

今後のプライベートについては、周りで結婚や出産を経験する人たちも増えてきて、結婚や出産、育児を自分ゴト化して考えるようになってきました。コンサルティング業界はもともと女性が少ないこともあって、職場にはワーキングマザーはそこまで多くはいません。一方で職場の海外オフィスを見てみると、子育てをしながら普通に働いている女性コンサルタントも多く在籍しています。

会社の制度の云々の問題だけではなく、日本は女性が働くための社会インフラの問題もあって、一人の力でどうにかできるものではないと思うので、いろんな人やサービスの助けをお借りしながら、両立する道を社内で作って、ロールモデルになっていければと思っています。

バックグラウンドが異なる優秀な人ばかりが集う稀有なコミュニティ

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前田塾との出会いは、7年前のこと。1期生になります。前田さんのFBの投稿を見かけて、メッセージを送ったのがきっかけです。

前田さんには、就職活動の時にお会いしていたんです。ベンチャーに就職したいと考えていたけれど、学生の目線では限られた情報の中で企業の良し悪しを判断できなかったので、友人の紹介で前田さんに相談させていただいてたんです。いつも明るい前田さんは、私にとって、ビジネス界のお父さんです(笑)。出会った当時の私が何に悩み、何を考えていたのかを、(私自身すっかり忘れていることまで)数年経った今でも覚えてくださっていたんです。ほんとに真摯に目の前の相手に向き合ってくださる方なんだなと。

当時まだ学生で、社会人になるにあたって、1社目がベンチャーということもあり、世の中の動きや経済、会計の知識など、ビジネスの基本を理解してから入社しておきたいと考えていました。

知識を求めて参加した前田塾ですが、そこで得た友人たちとのつながりは、今でも貴重です。社会人の方も多かったので、「社会人になるって、こんな感じなんだな」とイメージすることができ、いきいきと働かれている姿から、たくさん刺激を受けました。その時の前田塾同期と、転職した先で同期になったり、不思議なご縁を感じています(笑)。

また、人生や生き方について考え、視野を広げるいい機会になりました。全く違うバックグラウンドの、それも優秀な人ばかりが集まった稀有なコミュニティだったと思います。

AIから政治まで扱っているトップキャリアコース、おもしろそうですよね。前田さんからは1期の頃の前田塾とコンテンツも変わっているよ!と伺っているので、ライフステージや社内での立場が変わるタイミングで、世の中のことを学び、スキルを高めるために参加したいと思っています。

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バス代と本代だけを握りしめてたった一人でお買い物に出かけた小さな女の子が、そのまま大きくなり、世界を飛び回って仕事をしています。

今の状況からできることを探すのではなく、「やりたいこと」「在りたい姿」をまず定めて、そこにたどり着くためにとにかく動きます。でも無鉄砲すぎるわけでもなく、使える武器を集め、着実に作戦を練り、必要な荷物だけを持って……。

でもそこに至るまでには、いったん「自分」を見失い、痛い思いも体験して、「自分」に再会し、そして強くなりました。

ジェンダーバイアスが強いといわれている日本で、女性がキャリアを積みながら生きていくのは、なかなか大変なことです。でも岡浦さんは、彼女なりの答えを見せてくれるような気がしています。お話を聞いているだけで、応援したくなりますね。

当ブログの前田塾長の記事を読んで、「『寂しかったから始めた』なんて、全然気づかなかった! ちゃんとしているように見えてましたよ~」とのこと(笑)!

開講から6年、延べ4000名の方に参加いただいている前田塾。まだまだ仲間募集中です! 

 

第13回 森 太一さん(2017秋合宿)

今回は、2017年秋合宿に参加された医大休学中の森太一さんをご紹介します。

止まらないほど話題が広がり続ける楽しいインタビューの中で、質問を投げかけると、「おお、それはおもしろい質問ですね……」とぐっと黙り込んで考え思索に沈む、その緩急の差が印象的でした。

「分からない」を「おもしろい」の入り口ととらえられたら、日々は「おもしろい」だらけです。[Text: 西岡妙子]

隣の芝は青く見えるというのなら、どれだけ青いか見てやろう。

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北海道旭川市にある医大の4年生ですが、実習に入る前に休学して、もうすぐ1年になります。この一年、いろんな経験をしました。

休学をした理由の一つは、医療の未来を見極める必要性を感じたからです。診療の際の意思決定プロセスを考えれば考えるほど、「AIの方が対時間、対報酬あたりでいい仕事ができるんじゃないか?」と、危機感に似た仮説に至りました。

医師が、知識・経験を価値として提供し、報酬を得ているのならば、それはAIで代替可能であり、医師の本質的な価値は最も代替可能なのではないか、と。すぐにその時代が訪れないとしても、自分が医師として働き盛りの時代にはそうなるなと思いました。

「医師に必要なのは知識だけじゃない、人間性やリーダーシップも重要だ」という見方も分かりますが、それはどんな仕事にだって必要なこと。

それで、自分の身の振り方を再考する必要性があるのではないかと考えました。しかし、こんなことを考えている人が周りにいなく、周りがおかしいのか、自分がおかしいのか……について結論がつけられず、とりあえず休学にしたんです。

もう一つの理由は、医学部で勉強を続け、この後研修医、医者となっていくにつれて、専門性が高まる反面、世界が狭くなるな、と感じたことです。視野と可能性を広げて、他の世界も見ておかないと、本気で飛び込めないと思いました。医学は本当に面白い分野なのですが、他のジャンルへの好奇心が止められなかったんです(笑)。隣の芝だから青く見えたのかもしれない。だったら、どれだけ青いのか見てやろう。そんな気持ちでした。

大学3年時に海外ビジネス武者修行プログラムに参加し、戻ってきて休学しました。武者修行を運営する旅武者で、営業インターンをしています。休学してすぐのころには、前田塾の大阪展開に挑戦していました。今は、医療ベンチャーに勤務していて、復学しても業務委託で仕事を続けさせてもらえることになっています。

mushashugyo.jp

その会社で、メンタ―というべき人生の先輩に出会いました。50代の大学教授で、その会社にも勤務し、好奇心を忘れずに、医師としての仕事もとても楽しんでいる先生の生き方を見ていて、大学に戻って医療の道をもう一度目指す決心ができました。

医療問題は、日本最大の課題のひとつ。このまま医療費が高騰を続けると財政は破綻し、現状の保険医療を提供出来なくなることは必至です。そして、高齢者の増加に対応するためには、効率化は必須です。

現在、来るべき超高齢者社会に対応すべく在宅医療が増加しています。一方で、在宅医療等は始まったばかりという部分も多いため、効率化の余地が多分にあるかと考えています。特にデータを用いることでもっと効率化出来るのではないか。そうすれば、医師・患者さん双方にとってより良い医療を届けることが出来るのではないかと考えております。今の勤務先でも、データによる在宅医療効率化に関連した業務を行っています。

とにかく元気が良かった

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年子の弟(左)と。

医大を志したのは、高校生の頃。

中学生のころにリーマンショックがあり、父がそのあおりで苦労していました。それで父は、僕と年子の弟に、「ただ良い大学に行き、良い就職をするというのは意味がない。大学に行きたいなら、目的を持って進学しなさい」と言っていて、大学では何か目的をもって学ぶか、研究をしたいと考えていました。

高校入学時には、宇宙工学に関心があり、高2のときに、JAXAで開かれた5泊6日の「サイエンス・サマー・キャンプ」に参加しました。そこには全国から宇宙好きが来ていて、周りの「宇宙好き度」に負けた、と思いました(笑)。太陽光パネルの美しさについて熱く語ってる同年代のマニアがいて、ちょっと僕にはないな、って(笑)。それで、進路を考え直したんです。

自分にとって大切なことは「自由」。どうすれば自由になれるか、自己裁量を増やして生きていけるか……。「自分に確固たるもの、手に職があればいいのではないか」と考え、医師を目指すようになりました。宇宙にも、医療の側から関わることもできますし。

生まれ育ちは鳥取で、小・中・高と、ずっと野球をやっていました。弟がキャッチャーで、僕はピッチャー。打順は1番が多かったですね。切り込み隊長的な役割です。とにかく元気が良かったからかな。(笑)

大学からは、せっかく北海道に来たんだから北海道でなければできないことを、と思って、カヌー部に入り、川中心の生活を送ってました。北海道には美しい川がたくさんあるんです。やるなら徹底的に、と思って、大学3年の夏まで打ち込みました。

普通のスポーツだと、チームが弱いと「勝てない」や「下手」で終わりですが、カヌーで、「弱い」はすなわち「事故」そして「死」を意味します。だから、安全こそが、部活のキー。チームの力を見極めて、シビアな判断が必要になります。うまい人が多ければ激しい川に挑戦できるし、初心者が多ければ無理はしない。シビアな意思決定をし、難所に挑戦する先輩たちが楽しそうだったので、先輩を目指してがんばりました。水を感じる日々を送り、少しずつ技を磨きました。

身体を動かすのが好きなので、ときどき家の周りや公園を走ってリフレッシュしています。

最近読んだ本で面白かったのは、サマセット・モームの「サミングアップ」というエッセイ。勤務先の先生に勧められて読みました。人生や考え方について鋭く切り込んでいて、長年思っていたことが言語化された部分もあり、すっきりしました。

それから、HBR 10 Must Read Seriesの「Mental Toughness」を今読んでいて、おすすめです。

エントロピーの増大に乗っかって行ったらどうなるだろう?

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前田塾に参加したのは、2017年の合宿が最初です。在学中に参加した武者修行のコミュニティで、「前田塾」というワードが度々話題に上がっていたので、ずっと関心がありました。

自分の中に実務レベルでできることを増やしていきたい。それから、これから生きていく上で、何をやるべきか、大まかな世界地図を得たい、と思ったからです。開講されることを知り、すぐに申し込みました。どんなものか、確かめに行こう、と。

受講して、社会からの情報の取り方、自分なりの咀嚼の仕方、それから道に迷ったときに、どうやって確かめるかその術を学びました。自分で情報を解釈できるようになると、今やっていることや、これからやるべきことの意味が分かります。そのうえで道を選んだ方が、おもしろいのではと思いました。

参加するのは、若ければ若いほどいいと思います。中学生で参加したかったくらいです。大学選ぶときに、自分が何ができて何をやりたいのか、そのためにはどの大学のどの学部なのか、そういうことを考える時間も、情報も不足している。模試の結果や偏差値だけでは、進路を選べるはずがないですよね。

前ちゃんには、一番最初に、ブロックチェーンのことで話しかけたんです。僕の話を聞いて、「こういうこと?」って言い換えて具体に落としてくれて、僕の「知りたい」という欲求に対して、いろんなボールを投げてくれた。そして、分からないことは「分からない」ってはっきり言ってくれるところが、すごいなと思いました。分からないことをごまかそうとする方はたくさんいましたから、率直で信頼できると感じましたし、その「在り方」を学びたいと感じました。

前ちゃんイズムに影響を受けて、大阪前田塾をやったり、ホームパーティーをやってた時期もあります。(笑)旭川に戻るので定期講座への参加は難しいのですが、今後もAI系の講座にまた出たい。

maedajukumath.site

復学後は実習ののち、国家試験に向かって勉強して、ゆくゆくはASEANで働ける医者になりたいと思っています。地域に縛られず、海外で働くことも視野に入れたときに、アメリカの医師免許取得が今は流行っているのですが、このペースではおそらく供給過剰になっていく。ASEANは戦略的に成長している地域であり、何よりも、アジアのエネルギー溢れる感じが大好きです。社会改革のためには医療ビジネスにも関わっていきたいですが、まずは現場を知りたい。

「エネルギー量は増大し続け、やがてカオスとなり、最後は死に至る」というエントロピーの法則を学んだ時に、わくわくするけれど怖いな、と感じました。安全に生きていくためには、エントロピーを抑える方向を目指すべき。でも、「エントロピーの増大に乗っかって行ったらどうなるだろう?」とふと思ったんです。アジアのカオスにエネルギーを感じたように、カオスの中の恐怖を押さえるのではなく、その熱量を利用できたらおもしろいだろうな、って。そのためには、振り落とされず生きていく術を得なければならないし、才覚も必要。まだ若いので、「自分の才覚で食べていく」方向を目指して、エネルギーの増大を感じて生きてみたい。

「広大な宇宙の中で、我々は生まれて死んでいく。人間の小さな人生に意味はない」という趣旨のことが、先ほど紹介したモームの本にも書かれていて、「生きていることに特別意味はない」と、共感しています。意味付けしたいという思いもありますが、「意味がない」が大前提だというのが僕の考えです。

だからこそ、面白いことは、自分で見つけていきたい、面白くしたい。「おもしろき こともなき世を おもしろく」という高杉晋作の句が表しているような在り方で、生きて、切り開きたいと、強く思います。

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「人間たちは、急行列車に乗り込むけれど、自分たちが何を探しているのか分かっていない。子どもたちだけが顔を窓にくっつけて、夢中で外を見てるんだ」

というサン=デグジュベリ『星の王子様』の一節を思い浮かべました。

「世の中はそういうものだから」と納得し、あるいは諦めて、小さな疑問に蓋をして……。そうやって、感覚を麻痺させることに慣れてしまった大人たちにまっ直ぐな問いかけを投げかけるのは、子どもたち。多くの寓話にもそう描かれています。

好奇心を大切に、失敗も成功もひっくるめてのたくさんの体験談。冒険の続きが気になりますね。

第12回 中野 雄介さん(2019秋合宿)

つい最近行われた秋合宿に参加された中野雄介さんをご紹介します。

「このインタビューの話が来た時に、もちろん嬉しいけど、僕でいいのかな?って思いました。だって今まで出てきた人はみんな、すごいおもしろいですよね。いろんなこと考えてるし。僕は、本当にふつうなんです……」

とりあえずお話を始めていただくと、のっけからの「離島出身で…」で思わず前のめり。美しい島の写真もお楽しみください。[text: 西岡妙子]

おじいちゃんになったら島に帰るのが夢

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大学の理工学部の四年生で、管理工学を専攻しています。さまざまな技術を統合し、システム全体の設計やコントロール方法の研究、新たな管理技法などを研究する学科です。

大学受験では、第一志望の学校に落ちてしまい、現在通っている大学の理工学部と他大の経済学部に合格しました。実は、その時が前ちゃん(編集部注:前田恵一・前田塾塾長)との出会いで、母がもともと前ちゃんと知り合いだったため、学校選びでアドバイスをもらったんです。そして、経済はある程度自分で勉強できるが、理工系の学問は中々独学だと難しいと思い、理工学部に進学しました。

専攻を決めたのは2年次。大学院に進むつもりはなかったので、専門的なことよりは実用的なことを学びたいと考え、数学がもともと好きだったのと、経済学や心理学なども含めた科目を幅広く学べるこの学科を専攻しました。

今の大学は、内部進学の裕福な家庭育ちや、東京生まれ東京育ち、地方出身、帰国子女、いろんな人がいるのが魅力。僕は、甑島(こしきしま)という鹿児島の離島出身です。小さなコミュニティで育ったので、特にそう思うのかもしれません。

大学以外では、鹿児島の高校の先輩で、トップキャリアコース講師でもある衆議院議員の宮路拓馬さんの事務所で、インターンとして秘書の方のお手伝いをしています。来年4月からは農林水産省に入省が内定しており、宮路さんから「国家公務員になるなら、政治家の世界を見ておいた方がいい」とお誘いをいただきました。政治の現場を見て本当に勉強になるし、自分なりの考えが持てるようになりました。

今話題の「桜を見る会」問題について、もちろん問題はあるとは思いますが、他にももっと議論すべき重要な問題があるのに……と感じています。具体的な例で言えば、GSOMIAについて韓国が破棄を撤回し延長を表明した件について、また、社会保障に関する議論など国民に影響の大きい問題についてももっと議論を深めるべきだと、僕は思います。

国家公務員を志したのは、3年生で就活が始まったとき。甑島は、過疎化、少子高齢化が進み、だんだんとさびれてきています。島の産業は、漁業を中心とした第一次産業。これで、故郷を盛り上げていきたい。僕がおじいちゃんになって、仕事も引退したら、島に帰って孫と老後を過ごすことが夢なんです。

同じ問題を抱えている自治体は、甑島だけでなく、日本中にあります。地方振興に寄与するためには、民間企業よりも公、国で働いた方が、現実的に支援ができるし、やりがいもあるだろうと考えました。

もう一つ、海外含めいろんな場所で働いてみたいという思いもあり、国家公務員であれば、日本国内外、いろんなところに住めると思いました。英語をもっと勉強して、使えるようになりたいです。

公務員試験に合格し、面接の後、官庁訪問といって、実際に複数の省庁を体験し、説明を受ける機会があります。そのときに、農林水産省の職員の方々の雰囲気が、自分に合っていると思いました。また、食に関する仕事なので、ずっとなくならないだろうと(笑)。

技術の進歩は目覚ましく、つい最近もGoogle量子コンピュータが話題になりましたよね。秋合宿でも、前ちゃんがその話をしていましたが、今までの常識はどんどん塗り替えられています。

「スマート農業・漁業」という言葉も生まれ、第一次産業にも自動化・効率化が進み、過疎地域に使える技術開発がどんどん進んでいます。農水省の方々が、「農業はこれからだ」「農業の未来は明るい」とおっしゃっていたことが、すごく印象的でした。

でも、目下の課題は卒論です……(笑)。 プログラミングがあまりわかっておらず(笑)、なかなか卒論が進まななくて、教授に怒られています。年内にはなんとか、目途を付けたいと思っています。


みんなの話を聞いてまとめる調整型のキャプテン

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芦浜。小さい頃はよく兄弟、友達と泳いだり、釣りをしたり、潜って貝をとったりもしていました。

僕が生まれ育った下甑島は、本土の串木野新港からフェリーで2時間くらいのところです。薩摩川内市に属する甑島列島の一部です。下甑島の人口は、2000人くらい。島には高校がないので、高校入学から鹿児島市内で兄と二人暮らしをしていました。

僕の通っていた小学校は6学年で50人くらい、3学年で20人くらい。僕の学年は人数が多くて、同級生は10人です。下甑の小中学校も統廃合がすすみ、いずれは1校ずつになってしまうかもしれません。

島内には電車はないのですが、バスは結構あります。おじいちゃん・おばあちゃんが多いので、バスは必要なんです。街灯が少ないので、星がすごくきれいに見えるんですよ。水産業が産業の中心で、魚が本当においしいです。

島に訪れる機会があったら、母がホテル「こしきしま親和館」のおかみをやっていますので、皆さんよかったらご利用ください(笑)。母がもともと前ちゃんと知り合いなので、前田塾のことを話していただけるときっと喜びます!!

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長浜。実家からの景色

子ども時代は、いつも外で遊んでいましたね。兄や弟、それから友人と。室内で過ごすときはゲームか漫画。「スラムダンク」とか「金色のガッシュ!!」など、王道の少年漫画が好きでした。今は「キングダム」がダントツでおもしろいです。

中学校には部活がバレー部しかなくて、そこから中・高とバレー部でした。キャプテンも務めましたが、僕はぐいぐい引っ張るリーダーというよりは、調整型です。みんなの意見を聞いて、まとめていく役回りでした。

大学に入ってからもバレーサークルで、結構一生懸命やりました。今でも、リフレッシュしたいときは、サークルに遊びに行って体を動かしています。

大学時代には、先輩にポーカーバーに連れて行ってもらったのがきっかけで一時期ポーカーにもはまっていました。参加費を払ってトーナメントに参加する、健康的なポーカーです。(笑)相手と向かい合う時の緊張感、観察して予測して、確率の計算をして……一度に感覚や思考、いろんな神経を使います。YouTubeで研究もしていました

(笑)

中学の時に、アメリカの西海岸に一か月ほどホームステイをしたことがあります。西海岸の過ごしやすい気候と、アメリカの大地の広大さに惹かれました。島は山と海に囲まれているので(笑)。海外勤務をしてみたいという気持ちは、このころの体験から来ているのだと思います。

母が働いていたこともあって、子ども時代はおばあちゃんが家のことをやってくれていました。毎日とても幸せそうだった島生まれのおばあちゃんが、ぼくの将来イメージです。30歳くらいまでに結婚して、子どもを何人か育てて、いずれは島に帰りたいですね。


勉強は一人でするものだと思っていたけれど

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母の紹介で前ちゃんと大学入学前に会っていたので、前田塾の存在は知っていましたが、なかなか予定が合わなくて。就職が決まってから、宮路さんの勧めで秋合宿に参加しました。

就職を前に、経営素養を身につけたい、Excelの作業効率を上げたい、また、優秀な人と会い刺激を受けたいと思っていました。

合宿では、大量の内容を一気に学びます。そうすると、自分のペースでは全然追い付かないから、分かってる人に聞くようになるし、分からない人に教えるようになる。「他者に分かりやすく説明できて初めて分かったということだ」と前ちゃんに前ちゃんに言われたのですが、説明できないと、いかに自分がフワフワな理解しかしていないかということに気付かされました。また、新しいことをインプットするときに、「他者に伝える」ということを意識しながら学ぶようになりました。

元々僕は、勉強は一人でやるのが好きでした。自分で調べ、自分で考えた方が、定着するし、長く身に付くと考え、分からないことも先生に質問せず、自分で考えることにこだわっていました。その方法に囚われていたと思います。でもそれだと、量はこなせない。

みんなで一つの課題に取り組むというのは、今までになかった新鮮な体験でした。

インプット量が多い人や、そういう仕事に就きたい人、またかつての僕のように独学独習でずっとやってきた人に、この体験をお勧めしたいです。

前ちゃんは、学びに対して貪欲という印象です。例えば、講義中に出た質問について説明している途中で、前ちゃん自身が気にかかるポイントがあったら、急に黙って考え込んでいました。かっこつけたり取り繕うことなく、考え込む姿が印象的でした。

それから、とにかく元気な人、という印象です。(笑)エネルギッシュですよね。僕らも影響を受けて、秋合宿のメンバーでさっそく新年会をやることになっています。

前田塾は、素直に「分からない」といえる人、そうなりたい人に合っていると思います。あと、人と話すの好きな人。

僕自身は、トップキャリアコースに参加してみたいと思っています。

合宿には、行動力が半端ない人がたくさん来ていて、参加者の方もいろんな世界を見せてくれました。そんな方々の話を聞いて、僕はずっと日本にいて、世界が狭かったなと、仲間からも刺激を受けました。

これから仕事を始めるにあたり、広いところを見ていきたいと思っています。

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島の様子のお話のときに、中野さんは、高齢者のことを「お年寄り」でも「ご老人」でもなく、ごく自然に「おじいちゃん、おばあちゃん」と表現されました。ご自身のお母さんのことは「母」と語るのに。

心の奥に、たくさんのおじいちゃん・おばあちゃんの顔があるのでしょう。穏やかで温かい島の様子が眼に浮かぶようです。「狭いコミュニティで育った」と中野さんは言います。でもそれは、多世代に渡る豊かなコミュニティ。

日本各地にある誰かの美しいふるさとを守るために、「これからです」とはにかむ中野さんの新しい物語が、胎動を始めました。

「社会の変化の中で、私たちは何を得たいのか、失いたくないのか、未来に何を残したいのか……そして、そのために何ができるのか」

改めてそう問われたようなインタビューでした。

第11回 水野 雄介さん(2017春合宿/トップキャリアコース1期生)

今回ご登場いただく水野雄介さんは、2017年に大阪の合宿に参加、2019年からご就職とともにトップキャリアコースに参加されました。現在は弁護士として、東京で働いています。
「朝から晩まで会社にいます、それが一番楽しいので……」とのこと。オフィスビル内のカフェで、お話を伺ってきました。[Text: 西岡妙子]

ひとつひとつ現場で動き、事実を積み上げていく

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2017年に司法試験に合格、大分での1年の研修(司法修習)を経て、東京の法律事務所に就職してもうすぐ1年になります。所属する事務所が取り扱うのは、企業の合併、株式譲渡やM&Aなど、まさに前田塾のファイナンス講座で扱われるような内容ですが(笑)、その中での企業間や企業対個人などの紛争解決などを担当しています。

兵庫県出身で、大学は大阪でした。大学進学時は、東京に行く気はなかったのですが、大学院進学を意識した頃、将来は国際的な仕事をしたいと考えていたため、仕事が集中している東京を選択しました。

大学に入学したときは、法律にはそれほど興味がなく、法学部に進学したのも、法学だけでなく政治学、経済学、社会学など、文系の学問を広く学べることに魅力を感じていました。外交官など国際的な仕事をしたいと考えていましたが、外務省にご勤務されている弁護士の方のお話を聞く機会があって、それまで「離婚や交通事故などの問題解決をする職業」というイメージだった弁護士のイメージががらりと変わり、弁護士としての職業の幅の広さを知り、目指すようになりました。

現在の仕事は、大学で勉強したことの延長線上にあり、学んだことが生きていてとても面白いです。国際訴訟など案件が大きく複雑なため、チームで取り組み、解決まで複数年かかります。私が入してから終わった案件はまだありません。

今はまだ、言われたことをこなしていくだけで精一杯で、上司からの指示を待ってしまうところがあります。弁護士事務所は、組織でありながら一人一人がプロであり、そうでなければならない。自分で考えて動く、能動性がまだまだ足りてないなと思っています。

なので、これからの目標というよりは、現状目の前にあるものに集中して、自分の裁量を増やして行きたいと考えています。周りから、「任せても大丈夫」と思われるような人間に成長したいです。

国際関係の大きな仕事とは別に、同性婚をはじめとするLGBT問題にも関わっています。例えば企業の中で、同性同士のパートナー関係になったときにお祝い金が出ない、ハネムーン休暇が取れないなどの問題や、住宅ローンを共同で組めない、生命保険の受取人になれない、ケータイの家族割に入れないなど、小さな差別はいろいろ存在しています。これらの解決に取り組む企業も増えてきていますが、その動きをもっと広げていきたいと考えています。

もちろん法改正されるのが一番ですが、もう少し時間がかかりそうなので、最終的には改正を目指しつつ、ひとつひとつ現場で動き、事実を積み上げています。

弁護士というと、「社会派」と呼ばれるような、弁護団を結成し訴えていく大きな活動が注目を集めがちですが、企業法務の周辺で、こういうやり方でアンフェアをひとつずつ解決することもできる。それも弁護士の一つの魅力かもしれません

性的指向の差別だけでなく、性別、いわゆるジェンダー問題にも関心があります。女性の権利や地位向上は女性だけの問題ではありませんから、平等を実現するためには、男性が関わることが大切だと思っています。

顔が見える距離でみんなを盛り上げられる現場が好き

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カタリバ時代

子ども時代は……客観的に見るのはなかなか難しいのですが(笑)、学級委員などをよくやるタイプでした。前に出るのが好きで、リーダータイプ……といえるかもしれませんが、でも、生徒会はやらないんです。

手が届く範囲のリーダーをやりたい。現場主義ですね(笑)。大きな組織のトップになるよりは、自分で考えて実践できるサイズの中で、顔が見える距離でみんなを盛り上げていく現場が好きでした。

ピアノを習っていたので、合唱の伴奏をして指揮もやったりして、おいしいところを取りたがる子どもでしたね(笑)ピアノは大学まで習っていて、本当は今も弾きたいのですが、家に楽器がなくて。作曲家は、そうですね、ベートーヴェンが好きです。

1学年50人の小さな学校で小・中と地元で過ごし、今でもお正月に小学校の先生の家で集まるのが楽しみです。高校は京都に、大学は大阪に、と、学校が変わるたびに人間関係が変化してきました。

司法試験受験後、研修が始まるまでの間、半年ほど時間があったので、以前から関心のあったボランティアを少しやりました。その時にちょうど募集の出ていた、NPOカタリバでの活動を始めました。カタリバ自体の活動は、高校で出張授業を行い、大学生などのボランティアが高校生ひとりひとりとの対話を通して、キャリアについて考えるきっかけを作る、「カタリ場」というプログラムが主ですが、私はそのようなプログラムにも参加しつつ、メインは文京区にある「b-lab」という施設で中高生の日々の話し相手・遊び相手になりながら、彼らのチャレンジをサポートするという活動をしていました。短い期間でしたが、中高生の若さに触れ(笑)、希望や情熱の持つエネルギーを感じさせられました。

また、みんながみんな話好きではない中で、どうやったら話をしてくれるようになるだろうと試行錯誤していましたが、そういう日常のコミュニケーションを通じて相手の考えや気持ちを想像する力を中高生に鍛えてもらいました。カタリバで得たつながりは今でも続いていて、職員の方々やボランティア仲間との飲み会に、成人した当時の高校生が来たりするとなかなか感慨深いですね。(笑)

www.katariba.or.jp

b-lab.tokyo

 

 

今は仕事が好きで楽しいので、仕事しかしてないですが(笑)、たまの休日には友達とおいしいものを食べに行くのが好きです。ピアノ好きとしては、恩田陸の『蜜蜂と遠雷』の映画も気になっています。

参加を決断したこと自体が、大きな変化

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トップキャリアコース1期生

前田塾に初めて参加したのは、2017年3月の大阪での合宿でした。司法試験の1か月前。合格したので良かったです(笑)友人が武者修行に参加していたこともあり、FBで前田塾のことはよく見かけていて、おもしろそうだなと興味があったので、内容も分からないまま、わりとすぐに申し込みをしました。

知らない人たちの中に飛び込むという前田塾合宿のような体験を、それまで僕はしたことがなく、結構慎重なタイプだったんですけど、東京に行ってちょっと変わったのかもしれません(笑)。「合宿に行って何が変わったか」って、決断したことがすでに大きな変化だった気がします。新しいつながりに飛び込むということ、それができたので。

合宿は、行ってしまえば集まって数日過ごすので、仲良くなれます。なので、今までそういう形で何かに参加したことがない人でも、全然大丈夫です。

そのあと、大分での研修生時代に、出張講座にも参加しました。大分で出会ったN園さんというおもしろい方がいて、彼は前田塾の1期生だったそうです。何かが始まる黎明期に飛び込むって、やっぱり特別なこと。「そこに集まる1期生もおもしろい人が多いんだろうな」という思いがあり、そんなN園さんに影響されたこともあって、トップキャリアの1期生も、話を聞いてすぐに申し込みました。

講師の先生がいろんなジャンルの若手創業者ばかりで、一つ一つ独立した講座としても面白そうだし、15回まとめてすごい人たちの話が聞ける、来る人とも友達になれそうだし、飲み会までついてる、なんというお得なパッケージだ!と思っていました。

正直、どうなるかわからないけど、よくわからないからこそやってみよう、と(笑)。参加者も変わってる人が多いんだろうな、どんな人が来るのか見てみたい、という気持ちもありました。

一般的に、仕事を始めると同時に、専門的になる分、世界が狭くなりがちだと思います。その業界や社会的・時代的背景など、自分の身の周り以外の世界で、今、何が起きているのか知ることができたのは大きかったです。

ビジネスに関心がある方や、起業したい方には活用できることが多いと思いますが、どんな人にもおもしろい講座。いろんな人が参加した方が講座として面白くなるので、興味があればぜひ行ってもらいたいです。

前ちゃんは、「コミュニケーション能力が高い」というよりは、人と仲良くなるのがうまい、というか……「人たらし」じゃないですか。どんどん人と仲良くなって、どんどん輪を広げて。「それが苦じゃなくて、楽しめるってすごい、こんな人いるんだ」って、驚きました。僕だと、ちょっとストレス。だから、真似できないし……まあ、真似したいとも思わないかな(笑)

でも、そういう自身の特性や強みを生かして、ビジネスや人生にそのまま自然に反映させているのは、すごいなと思うし、そこは真似したいところ。私は私の個性を生かして、そうなれたらいいなと思います。

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水野さんは、時折ご自身の心の奥に深く潜るようにしながら、とても静かに話します。誠実で的確な言葉が光っていました。

数年かかるような国際的な仕事に取り組みつつ、コツコツと国内の課題にも対応。私たちの暮らしの中にも、当事者でなければ気付きにくい差別や固定観念、社会規範は、あちこちに存在します。そのひとつひとつを丁寧に検証し、グローバルとローカルを自由に行き来しています。

人の心に優しく寄り添う弁護士として、すべての人がその人らしく生きる権利が守られる社会のために、一歩一歩積み上げていかれることでしょう。

第10回 前田塾塾長 前田恵一

記念すべき第10回は、今月40歳を迎えた前田塾塾長・前田恵一、通称「前ちゃん」の半生をご紹介します。

「頭がいい」「優しい」「おもしろい」……これまでの記事で、たくさんお褒めの言葉をいただいた、世代を問わず愛される男。

「県立トップ高校から東工大、東大院、IBM野村證券、そして起業……どんな勝ち組だろう」という予想は見事に裏切られ、驚きの連続でした。[text: 西岡妙子]

弟の死と、母

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幼稚園の記録

1979年、鹿児島生まれです。フツーの子供だったと思います。小さいころは、パーマンごっことかウルトラマンごっことかして、おもちゃのカメラが大好きだったって、聞いてます。家庭のヘビーな事情で、転々と引っ越しばかり。熊本、宮崎、大分に1年ずつ住んでいましたが、僕ははっきりとは覚えてないですね。

三人兄弟で、僕が長男。3つ下に真ん中の弟、その3つ下に下の弟。真ん中の弟は、生まれてすぐに風邪か何かの菌が入って、その後遺症で半身不随の状態だったのです。歩行もできず、寝たきりでした。その弟が6歳の時に肺炎をこじらせて、亡くなってしまった。僕は9歳でした。あまりにあっけない、本当に突然のことでした。

もちろん弟の死は悲しかったけど、それ以上に、母がひどく悲しんで、立ち直れないほどの状態になったことが心に焼き付いています。大人になった今となっては、母がどんなに深い喪失感に見舞われたか、母親にとって子を失うことが想像を絶することも理解できますが、当時、9歳の僕はとにかく「母を助けたい」「この状況をどうにかしなきゃ」「何をすれば支えられるだろう」そんなことを考えていました。

いつも気丈だった母が折れるように崩れて、僕に助けを求めているように感じた。それまでは「母=守ってくれる人」だったけれど、「僕が守るべき人」になることがありうるんだなと思ったんです。

「前田塾」の原点

サッカーや野球も興味があって、小学校の頃、一応やったけど、僕、練習が大嫌いなんです。しんどいの、嫌い(笑)。練習ってつらいじゃないですか。怒られるのも嫌だし(笑)。だからすぐ辞めちゃいました。そのあとは勉強が楽しくなって学習塾に通わせてもらっていました。塾の友達がみんな中学受験をするので、僕もなんとなく受験して、私立中学に入学しました。

中学に入ってからは、中学って、部活でコミュニティが決まるから、居場所のために何か部活に入ろうと。運動部が少ない学校で、バスケ部はとてもきつそうで、柔道は痛そうだし、消去法でバレー部。スポーツ自体へのやる気はなかったです(笑)。当然、試合には出れない日々。仲間とつるむのは最高に楽しかった。ただ中3のころに急に背が伸びて、引退したあとの体育の授業ではスパイク決まるようになってきて。「もっとまじめにやればよかったかな~」って、思いました(笑)。

高校入学は福岡へ移転。最後の良い思い出からバレー部に入ったんですけど、やっぱり練習はきつい。2か月で辞めました(笑)。帰宅部生として充実した日々を過ごしてました。下校して友人たちとそのままカラオケやボーリング、麻雀三昧です。学校はまじめな進学校だったので、遊んでばかりの僕は、ひどい生徒でした(笑)

勉強も大してしなかったけど、数学だけはちょっと得意だったんです。そしたら、当時好きだったクラスの女の子に質問されはじめて。距離を縮めるために僕のできることが「数学を教える」だったんですよ。アプローチの方法はこれだ!と思い、その子に「分かりやすい」と思ってもらえるように、(笑)徹底的に勉強しました。数学に命懸けてましたよ(笑)。

本当に好きな人に何かを教えるときには、自分が問題を解けるだけでは足りない。本当に理解して、うまく説明できることこそ大事。「他者に分かりやすく教えることができた時が、本当に分かったってことだ」と気づけました。おそらくこれが、「前田塾」の原点(笑)。ちなみに、この高1の時のクラス、とても雰囲気が良くて大好きでした。

東京で会おう

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そして2年生になったら、男子クラス(男クラ)に入れられました。部活やってないから、いよいよ女子との接点が皆無になってしまう……これはまずいと思い、生徒会に入りました。女の子多めの「ホームルーム委員会」っていう趣旨不明の委員会に入りました。女子と時間を過ごしたい一心でミーティングを提案しまくって、集まって、活発に活動してました(笑)。

ただ、男クラには男クラの良さがあって。男同士の面白さは、格別なものがありました。カッコつけないし、夏はみんなほぼ裸だし、試験のたびにゲーム感覚で、本気で点数を競い合うんです。牛が角をぶつけ合うように、シンプルに格闘するのがおもしろかったですね。

そこで出会ったH田くんっていうのが、本当にすごい奴で……勉強も運動もできて、ベースも弾けて、性格もいい。完全に負けたと思いました。尊敬していたし、彼に近づきたかった。彼が東大を目指していたので、僕もなんとなく、東大を意識するようになりました。

高2の3学期に、鹿児島に引っ越しすることになり、それで編入試験が必要になりました。ところが国語と英語の成績が良くなくて、まぁそれまでも先生のこともバカにして授業もまともに受けてなかったのですが……数々の無礼を土下座レベルでお詫びして(笑)、面倒見てもらって、編入試験に無事滑り込みました。

福岡を出る時に、高1の時のクラスメイト、通称「モトヨン(元4組)」のみんなが集まってくれて、大勢でお見送りをしてくれたんです。それが本当にうれしくて、またみんなに会いたくて、鹿児島に行ってからもモトヨン同窓会の幹事を僕がやっていました。メールすらない時代。家電の連絡網を使って連絡してましたね。首都圏の大学への進学を意識していた人たちとは、「東京の大学で会おう」というのが合言葉になってました。その後、東京でも何度も同窓会をしましたし、今でもまだ会いますよ。

鹿児島の高校では、モトヨンの思い出が心にあり、モトヨンみたいなクラスをつくりたくて、転校して間もないのに学級委員長に立候補しました。受験期だったので、「定期テストで、クラス平均点で僕たちのクラスがトップを取る」というのを目標にして、「みんなで勉強しよう!」という雰囲気を作って。それが趣味でした(笑)

僕も、H田くんとモトヨンの影響で、相変わらず東大に行きたかったから、勉強はしなきゃいけなかったので、実益も兼ねて。

でも、一浪するんです。福岡の駿台で、寮生活を送りました。トップキャリアコース講師の衆議院議員宮路拓馬くんとは、実は中高と一緒だったのですが、この頃、急速に仲良くなりました。そして一浪の冬、前期で東大に落ちましたが、後期で東工大に引っかかって、進学しました。

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お金を稼ぐって、大変なこと

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僕は、東京に出たかっただけなんですよね。憧れの東大には落ちてるし。だから、授業に出るわけもなく、やる気が出なくて、誰でもとれるフランス語すら落としてました (笑)

大学入学が99年。世の中はすっかり不景気で、家庭の事情もあり、仕送りがほとんどなかったんです。周りの友人はもらってるのを横目に「なんで僕だけ……」と最初は思いました。でも、よくよく考えてみたら、寮のほうが安いのに「寮だと彼女ができても呼べない!」と思い、ちょっといいところを借りたのは、僕。東京に出たいと言ったのも、そもそも大学に行きたいと言ったのも、僕。「親には支払いの義務はないな」と、価値観が変わったんです。

ひとまず「稼がなきゃ」と思い、ラーメン屋でバイトしてみたけど、キツくてすぐやめました。キツいの本当に苦手みたいで。だから、キツい仕事を淡々とこなす、労働する人には強い敬意を持っています。僕の母がコツコツ働いて生活を支えてくれていたことを思い、改めて尊敬し、心から感謝しました。お金を稼ぐって、大変なことですよね。

それで、家庭教師ならできると思って、自分でチラシを作ってスーパーに貼ったりして……金持ちがいそうな田園調布のスーパーを狙ったりして(笑)。当たり前だけど最初は全然効果なくて、でも少しずつ、生徒さんの口コミで増えました。

ただ、僕が家庭教師として本当にいいと思うやり方は、いわゆる地頭を育てる方法で、点数にはすぐには直結しない。けど、それではすぐにクビになってしまうので、公式や解法を覚えさせるようなやり方を求められていました。「それは本当の学びではない」と、内心苦しかったことを思い出します。

今、前田塾で実践している学びは、丸暗記の真逆ですから、習得するのに時間と労力がかかるものなんです。楽ではありませんが、ただ、習得したら一生モノになります。

それから「東大家庭教師友の会」で事務のバイトもしてました。「東大」っていうだけで、家庭教師の単価も違う。「くっそ~」と思いましたね(笑)その事務局で、栃木県の那須から要望が来ていたのだけど、遠いから東大生は誰も行かない。でも、そのご家庭は家庭教師を本当に必要としていたので、一度電話口に生徒さんに出てもらって、向こう数か月で学校でやる内容の重要点を一通りレクチャーをしたんです。数時間ほど。そしたら後日、先方から僕にお願いしたいというご指名が入って、それから那須に家庭教師に行くようになりました。

新幹線含め片道2時間かかるけど、まとまった金額をいただけるので、毎週日曜は丸一日、那須のそのお宅で家庭教師をして過ごすように。一番上の女の子の受験が終わってからも、下の弟さんたちの分まで、合計で7年間、通い続けましたね。学部の4年間、院の2年間、そして後就職してからも1年間です(笑)社会人になって1年目、12月には大阪に異動になったけれど、大阪から那須まで毎週通っていました。往復もはや9時間です。「何やってんだろ」と思いながらも、約束ですし。その一番下の子が推薦で無事に決まってくれたので、責務を全うできました。早めに終わってちょっと助かりました(笑)。

2番目の男の子は、中学生で荒れてたのですが、パワプロをきっかけに、少しずつ心を開いて慕ってくれて……僕もゲーマーなので、それが活きました(笑)荒れてるんだけど、僕が行くときには必ず家にいたんです。仲良くなるにつれ、彼自身が勉強しようという意欲を持つようになり、そして高校大学と進学する気になったので、僕が指導を引き受けました。後に、彼に「人生のターニングポイントだった」と言われたことが、僕にとってもターニングポイントになりました。教育が持つ意味や意義を再認識しました。本当に嬉しかったです。

で、肝心の僕の学業は、卒業が本当にやばいということに突如気づき(笑)多くの友達が行くからという理由で情報工学に進んだのですが、実はちっとも興味なかったのです。でも、3年の前期に、「あれ、このままだとどうやら卒業できないぞ?」と気づいてから、慌てて死ぬほど勉強しました(笑)大学院にも行きたかったので、卒業と院試のために、ほんとによく勉強しましたね。「効率が上がる勉強の仕方」もかなり研究しました(笑)友人たちはとっくに単位を取り終わっていたので、勉強仲間もいなくて、孤独な戦いでした。それまで授業にろくに出てなかったので、ほぼ独学です。ま、全部自業自得なんですが(笑)

情報工学、特にAI(機械学習)や暗号理論など……学べば学ぶほど、すごいな、と思いました。勉強って本気でやると面白いんですよね~、「今さら言うか」って感じですけど(笑)おもしろいけど、その後、全く役には立たなくて。ところが最近やっと、AIというワードが世間でも出てきて……20年近く経って、今、数学やAIの講座を開講できています(笑)

 挫折と転機

大学院は、東大に行きたいというあの頃からの憧れも尾を引いていて(笑)そしてやっぱり数学が好きだから、数学専攻で東大の院へ。入学当初は本当にうれしかったです。だけど次第に研究室がつらくなってくるんです……難易度が高すぎて……。太刀打ちできない、と心折れました。研究者が楽な道ではないことを知り、ほんとに、ぽっきりと。数学、大好きなのに、得意だったのに……大失恋。

だってね、研究室、左利きばっかりなんですよ!!いかにも「天才!」って人がごろごろと。もう、悔しくて悔しくて。だからね~、僕、左利きになろうと思って、めっちゃ練習しましたよ!! 箸だけは根性で使えるようになって、だから今でも左でご飯食べられます!(笑)

それからは研究は撤収し、飲んだくれてました。英会話サークルに入っていたので、そこに入り浸ってグダグダと管を巻いて。でも、そのサークルにおもしろい人がたくさんいて、「数学しかない」という僕の思い込みを壊し、いろんな価値観、多様な生き方があることに気づかせてくれました。「挫折した今、大学院でできることは何もない」と落ち込んでいた僕は、それで「できるだけ多くの友達を作ろう!」と、どんどんいろんな人と飲み会をやるようになりました。

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2004年

そうすると、おもしろい人にどんどん出会えて、その人たちが大体、大学にはあまり行ってない、という人たちばかりでした。そこで、それまで抱いていた「学校で勉強をする人=頭が良くておもしろい人」という謎の固定観念から解放され、「大学以外にも世界がある」と、視野がまたぐっと広がりました。

その頃の友人の一人に「IBMビジネスカレッジ」を紹介されて、入会試験に合格して通えることになり、なんと、そこには女子がたくさんいました!!(笑) 東工大も、東大院の数学の研究室も女子が少なかったので、嬉しくて、場を作る係を率先して引き受けていました。ホームルーム委員会再び、ですね(笑)。その時のメンバー58名のうち約半分はIBMに就職。僕もその一人です。また、のちに共に起業することになる仲間も、そこにいました。

IBMに内定もらったものの、今度は院の卒業がやばいんです(笑)卒業できないと内定取消し。だけど数学には挫折していた僕は、「研究室からどこまで逃げられるか」にチャレンジしていたので(笑)教授からも「お前みたいに不真面目な奴は見たことがない」と怒られたほどで。教授、怒りに震えていました、文字通り(笑)

こっちは内定かかってますから、そこから半年は研究室に泊まり込みです。研究一色。論文も何とか書き上げて、なんとか2005年、卒業できました。

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2005年 卒業直前

就職、転職、そして……

IBMには3年勤めました。本当にいい会社で、大好きでした。でも、僕は鹿児島の母に仕送りをしていたのと、6個下の弟の「声楽をやりたい」という夢をかなえたいと思って、その分も捻出したかったのです。音楽って、本当に金がかかるんですよ。それにはお給料が全然足りなかったんです。

それで、「生活コストをギリギリまで削ろう」と思って、まず家賃を削りました。津田沼から新京成電鉄に乗り換えて高根公団前という駅から徒歩20分のところに家賃2万円のアパートを見つけて、そこを借りました。でも、仕事は激務だったから、通勤に時間がかかるのは辛い。だから、月曜の朝に5日分のワイシャツと下着を持って出社して、平日は会社近くのネットカフェに泊まって、金曜に帰るんです。そうすると、通勤手当との差額もちょっと浮くんですよ(笑)風を通すためにも、週一は家には帰り、土日で、コインランドリーで洗濯です。洗濯の間、ジャンプ読んで、それが僕の休日(笑)。

でも、やっぱり疲れがたまってくるんですね。「何かがおかしい」と。「このままの生活では破たんする。これは構造の問題だ、うまくいくわけがない」ということに、ようやく気付くんです(笑)。そんなときに、ネットで「某外資系証券会社ではボーナスがいくら」みたいなニュースを目にして、「くっそ~!!」と思って、IBMは本当に大好きだったので迷ったんだけど、「収入アップのために証券会社に転職だ!」と決意しました(笑)

でも、外資の方がお給料はいいのですが、僕は英語がダメなので外資は無理。だから「日系の証券会社に行こう!」と、読んでいたジャンプを「金融入門」とか「デリバティブ入門」に持ち替えて、洗濯の合間に勉強しました。そして友人がつないでくれて、野村證券に転職できたんです。もちろん努力はしたけど、友人の口添えもあったと思います。幸運だったし、感謝しています。

それでトレーディングの仕事を始めて、給料はよかったんですが……飽きてきたんですね(笑)。最初は、世界を動かしている気になって自分に酔ってた時期もありましたが、酔いが醒めてくると、「お客様の注文通りに処理するだけで、ずっと同じことをする確認係なんだ」と思ってしまって。何もやっていない、ただのウォッチャーじゃないか、と。

それで、せめて国内で一番のトレーダーになってやろうと思って、平日のニュースを全部取りためて、帰宅後や土日に3倍速で全部見る、ということを繰り返していたんです。それを1年くらいやっていると、社会のことがだいぶ分かるようになってきました。

でも今度は、「大量にインプットはあるものの、僕としてのアウトプットは何だろう」と思い始めたんですね。「僕自身は知識をため込むばかりで、何もしていないじゃないか」と。その一方で、年収は勝手に上がっていく。それがどうにも座りが悪い。

一方、僕が当時、熱を入れていて行っていたのがホームパーティ。徳谷 智史さんともこの頃出会いました。

「人のつながりにより貢献できる仕組みがつくりたい」そう思って、エンジニアの友達と、アプリを作ってリリースしてみたんです。売上なんて全然上がらない代物でしたが、周りの反応は結構よくて、それなりに楽しんでました。

そんな時に、2011年3月11日。東日本大震災が起きました。

未曽有の大災害。「人生は一度きりだ」ということを痛烈に感じ、「このままトレーダーを続けるのか」「それとも何かチャレンジをするのか」それまで曖昧にしていた問いが、自分にまっすぐ突き刺さり……勢いで、3月31日には辞表を提出していました。

もちろんすんなりとは辞められず、引継ぎを済ませて、5月末には退社して、ついに株式会社レゾナンスの起業となりました。

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控えめに言って、どんな塾生よりも何も考えていないような気がするんです、塾長……。左利きの練習って何なんすか……とツッコミを入れざるを得ません。

でも、目の前にある荒波を一つ一つ、どんな時も諦めずに、知恵を絞って自分の持てる武器を使って解決策を練る姿勢は、さすがです。

「どんなピンチもどうにかする力」がハンパない。起業後ももちろん、波乱万丈!

なんで会社なんて作ったんだろう

2011年5月。震災の勢いで会社を辞めて起業したものの、序盤から逆風が吹き荒れていたように思えました。facebookが流行りはじめ、いつ自分たちのサービスを食い破ってくるか、不安はつきませんでした。「枕を高くして眠れない日々」が続き、結局このサービスは撤退をすることにしました。周りからはめちゃめちゃ心配されていたものの、「あれだけの会社を捨てて始めるくらいだから、さすがに何か考えがあるのだろう」とすら思われていたようです……が、実は、そのあとは本当に何もなかった。

会社を辞めてきてくれた人や古くからの友人と、10人で始めたレゾナンス。でも数か月で進むべき進路が見えなくなった。今から「何やるの?」という状態。貯金だけがどんどん減っていき、雰囲気はどんどん険悪になります。2011年の年末には、早くも最悪な状況。仕事の取り方も全然わからないし、「なんでもいいから」と気合で引き受けた案件が、やればやるほど赤字になるようなものだったり……。

2012年は、さらなる悲劇の年。相変わらずの最悪な経営状況の中で、プライベートでは、高校の同級生と付き合い始めて、結婚を考えるようになったんです。メンバーからは「それどころじゃないだろう」と反対の声も上がりましたが、でもそれを押し切って、結婚しました。

ほんとにお金がなくて、吉野家が贅沢に見えた。玉子のトッピングすらとてもできない。「なんで会社なんて作ったんだろう」「野村證券に戻りたい」って思ってた時期もありました。リーダーとして、絶対に思ってはいけないことですよね。社長失格。

家庭もしんどいし、会社もしんどいし。「お金さえあれば」と思っていたけれど、そうじゃない。今思えば、「お金がないことから思いやりまでなくしてしまったこと」が原因なんです。会社も家庭もすべて投げ出したいと思った、悪夢のような1年でした。結婚生活は2年弱で破たん。子どもも生まれましたが、彼女が引き取りました。彼女には本当に迷惑をかけた。申し訳ないと思っています。

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創業仲間との別れと「前田塾」誕生前夜

そして2013年の正月から、「何でもします」と、倉庫管理から何から、仕事を選ばずにやっていった結果、だんだんと稼ぎがつくようになりました。忙しくなり、生活が豊かにはなってきたのですが、そうすると「このままいくか」「やりたいことに絞ってやるか」という問題にぶち当たるわけです。

みんなそれまでの仕事を辞めてまで、レゾナンスにやってきた人たち。「チャレンジしたい」「今までにないことをやりたい」という気持ちが、やっぱり心のどこかにある。話し合いを重ねて「お金だけじゃない」という結論になり、別々の道を歩むことになりました。現在トップキャリアコースで講師を務めてくれている方志嘉孝さん、松本勇気さんも当時の創業メンバーの仲間でした。

そのころは、僕が好きで開いていたホームパーティーの中で、参加者から転職相談を受けるようになっていて、一方でベンチャーの知人たちからは求人相談を受けていたので、それをマッチングさせることが事業になりつつあったんです。それから、システム構築などのIT系も収入の柱でした。

僕が人材紹介系の仕事を引き取り、IT系の仕事はお客さんもともにそれぞれのメンバーに渡して、たまっていたお金もみんなで分けて、いったん解散しました。

離婚直前で別居していて、創業仲間とも別れて、すごく寂しかったんですよ。弟と二人で暮らしていたのですが、とにかく飲み仲間がほしくて作ったのが、「前田塾」の選抜コース(笑)。「何かを学べるよ」といえば集まってくれるかな、と思って、始めました。「勉強」が仲良くなるための口実なのは、高1から変わらないですね(笑)。粗利そのものが赤字な事業でしたが、これが「前田塾」誕生秘話(笑)。

講師業は、2011年、他社との共催での「ビジネスメンタ―シップ」という連続講座が始まりです。「学生時代の友達がたくさんいると、社会に出てからいろんな場面で助け合える」という経験から、モトヨンの幸せな思い出を抱きつつ、そのような場づくりを目指しました。トップキャリアコースの原型で、十川 良昭さんや間庭 裕喜さんとは、学生時代からの繋がりもあり、この頃にもだいぶお世話になりました。勉強するというよりは、禅問答のような……「仕事とは何か」「何のために働くのか」……ビジネスメンタ―シップは、そういう根本的な問いを、対話を通して探っていくような講座でした。

一方で、完全に僕の飲み仲間募集目的の講座、「前田塾・選抜コース」は、口コミでじわじわ人気が出てしまって(笑)、1期、2期はそれぞれ12名ずつ、期を追うごとに人は増え続け、最終的には30名弱で25期まで、4年2か月、続きました。稼ぎたかったわけではなくて「無料はさすがに良くないだろう」と思って始めた僕の道楽だったのですが、福岡や札幌、大阪、名古屋でも、出張講座をやりました。

2016年からは事業として見直し、「合宿」という形になりました。GW、夏、秋に開催しつつ、まだまだ試行錯誤中。大阪でもやっていましたが、今年からは、関東のみでの開催です。地方は意外にコストがかかること、他の事業が忙しくなったことと、僕も年を取ったこともあって(笑)。でも、準備を手伝ってくれる人がいれば、地方への出張も考えてます。

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2018年12月8日 5周年記念パーティー

出会いを提供する人材紹介

というわけで、現在の株式会社レゾナンスの2本柱の一つはこの「前田塾」。そしてもう一つが、人材紹介事業です。採用に困っていた創業期のベンチャー企業と、転職を考えている若手社会人や就活中の大学生をつなぎ始めた2012年ごろは、時流もあって、大きな需要がありました。

新卒にしろ転職にしろ、求職している方と企業、双方のお話をきちんとヒアリングすることを大切にしています。

人材マッチングには、いろんな紆余曲折の末、「友達に紹介する」紹介業がとてもうまくいくように思えます。その友達は「大企業からスピンアウトして急成長している企業」がほとんど。創業10年以内でのベンチャー企業は、規模にもよりますが、社長との相性が決め手。もちろん労働条件も大事ですが、社長の気概や人柄をちゃんと見抜いて、相性がいい人材とマッチングを行うことが大事。固い面接を行うよりもむしろ、飲みながらお互いのことを理解するようなマッチングのほうがうまくいきます。結果、両者の満足度が高くなる。

法人と個人が仲間になれるような幸せな出会いを提供したいという思いは、人材紹介であっても「前田塾」と共通していますね。

仲間に出会う。時代を創る

前田塾の初期に参加していた子たちが、そろそろ社会人6年目くらいになるんですよ。それで、社会人向けの講座のニーズを感じて、僕の仲の良い友人を中心に講座を集めて企画したがトップキャリアコースです。「あの頃の学生たちどうしているだろう、再会の場があったらおもしろいだろうな」という狙いもありました。実際、同窓会的に参加くださる懐かしい顔もいます。本当に嬉しいことですよ。現在2020年1月からの第3期の募集が始まったところですね。

僕の人生を変えたコミュニティだったIBMビジネスカレッジのような場を、そろそろ僕が20代のために作る番だ、という思いもありました。

単純に学ぶためだけ、知識を得るだけなら、独学でもいい。でも僕は「学び」を通した仲間はとても質が高いことを実感しています。そして、「共通の目標や課題に向き合う」ことも、仲間づくりには大切。仲間の存在が、直接的にせよ間接的にせよ、世界観を広げ、人生のブレイクスルーをもたらしてくれるものなのです。

すべての塾講義には懇親会が付いていて、それぞれ頑張って勉強した後、「講師と生徒」という枠が外れた場で飲んで語り合うのが僕も大好き。トップキャリアコースの懇親会には講師も参加してもらっていて、難しい講義とはまたちょっと違った、ざっくばらんに質問できる楽しい飲み会です。これまた、名刺交換してお話しするだけの交流会では、「顔見知り」は増えますが「仲間」にはなるのは難しいですよね。

目的志向の勉強の時間と自由な懇親会という対照的な組み合わせが、我ながらとてもいいと思っています(笑)。そして僕が用意できるのは、出会うための場。出会いさえすれば、後は自然に、参加者それぞれの必要な方へ導かれていくことを、何度も目の当たりにしてきました。僕も彼らからたくさん刺激や学びをもらうし、うまくいっている話もそうでない話も聞くのがとても楽しみです。

 

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トップキャリアコース生をはじめとした前田塾生は、社会参加への意識が高い人が多いですね。それぞれの中に、「何か価値を提供したい」「問題を解決したい」という思いがある。時代を創っていくエネルギーのある若者がたくさん集まってくれて、頼もしい限りです。

その問題と向き合うときには、真剣になりすぎて飲み込まれないように、「社会とどう遊ぶか」「遊びを持って向き合うか」、俯瞰と集中、両方の視点を行き来することが大切じゃないかな。僕自身、対象にのめりこんで視野が狭くなって苦しくなり、そのたびに友人や仲間に何度も救われてきました。

視点を自由自在に動かせるように刺激を与え、固定観念から解放してくれるのは、気の置けない仲間の存在だと僕は思います。だから僕は、コミュニティを作り続けます。

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2019年 秋

いかがでしたか。

たびたび訪れるピンチの場面でも、「よし、そう来たか!じゃあ……」と次の手を探す根気強さ。ただそれが「がんばり」ではなくて、チャレンジを楽しみ遊んでいるように見える不思議。

少年漫画の主人公のように、降りかかる困難を飛び越え、潜り抜けながら、成長を続けてきた前ちゃん。

文字で見ると着実に歩んできたかのような経歴ですが、あらかじめ目標を立ててこうなったわけではない。

「計画的偶発性」——— キャリアを積むにはそれしかないよね、と前ちゃんは言います。

就活のために自己分析をした結果、かえって身動きが取れなくなることもあるでしょう。

そんな時には、「女子がいる」「好きな友達が目指してた」「金が欲しい」それだけで飛び出した前ちゃんの行動力が、参考になるかもしれません。目の前のこと、目の前の人のためだけに行動を起こすことから、道が開けていくかもしれません。

きっかけは身近なことであっても、視野を広げ続け、視点を自由に解放することが成長につながっていくと、前ちゃんの数々のエピソードが教えてくれます。

そして、そのために前ちゃんが一番大切にしているものが、世代も性別も問わない「仲間」。

1万字インタビュー、お読みいただきありがとうございました。

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第9回 北村 仁さん(2018夏合宿/トップキャリアコース1期生)

今回ご登場いただく北村仁さんは、合宿とトップキャリアコースに参加されました。

現在は、学生、学習塾の講師、そしてBizjapanの代表。

過密スケジュールの合間を縫ってお時間いただき、インタビューしてきました。

[Text: 西岡妙子] 

目の前にいない人にも、どれだけ想像力を働かせ、繊細に思いを馳せられるか 

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NPO法人Bizjapanの6期生で、代表を務めています。Bizjapanでは、メンバーがやりたいこと・興味のあること・課題の解決を実現するために各々でプロジェクトを立ち上げて活動するのですが、1年目だった昨年は先輩がリーダーだったプロジェクトに飛び込み、今年は代表としてコミュニティ全体のマネジメントをしつつ、自分のプロジェクトを立ち上げています。

bizjapan.org

大学2年生ですが、本業はどちらかというとBizjapanですね(笑)というより、どこまでがどっちか分けられないような生活をしています。
大学では、法学部の法学総合コースを専攻しています。司法試験や政治家を目指すだけではなく、もっと根本にある、法律を作るための思考の枠組みを探究したいなと考え、進路を選択しました。
もともと今の学部を志望した高校生の頃は、特に自分の中にはっきりと「何がしたい」というものはなかったのですが、尊敬する先輩が進学した先であり、特に他に行きたいところもなかったので、進学しました。そして学ぶうちに、その深さとおもしろさに気付きました。
理系の大半が物質に焦点を当てているのに対し、文系、特に法学は、人とその生き方に向き合う学問かな、と思います。「人はどうすればより善く生きられるのか」「どういう営みをすればよりよい社会になるのか」。
人々が生きてきた歴史、生き方から真摯に学び、そしてどうするかを考える。過去、現在、未来に生きる全ての人に向き合い、肯定する。法学はそういう素敵な学問だと、感じています。
「そもそも『善い』とは何か」。何が「善い」かも、その人が置かれている立場や文化的背景によって、当然定義が変わってきます。目の前にいる人はもちろん、目の前にいない人にもどれだけ想像力を働かせ、繊細に思いを馳せられるかが、法学を学ぶ自身に問われるんです。
そういったことが心にあるようになったきっかけは、小学校の頃に遡ります。大晦日に、家族で紅白を見ていたんです。子どもはたいていそうでしょうけど、演歌って興味ないですよね。それで、演歌が流れてるときに、「こんな曲要らないのに」と言ったら、父が「こういう音楽は誰のためにあるか、考えたことはあるか?」と。

「私たちはこたつでミカンを食べながら家族そろって紅白を見ているけれど、今この時も高速道路で荷物を運んでいるトラックのドライバーもいる。そういう人が、休憩で入った師走のサービスエリアで聞きたい音楽は、果たして本当に流行りのポップスだろうか? 世の中にはいろんな人がいて、様々な人の働きによって、私たちは正月を迎え、普通に暮らすことができるんだよ」と父に言われ、ハッとしました。その時の恥ずかしい思いは、今でも鮮明に残っていて、現在の僕にも影響している、のかもしれません。
今、僕自身が直面している課題としては、「人に仕事をお願いすること」「人を動かすこと」の難しさがあります。組織の代表として動いていると、情けないことに人の気持ちが見えなくなるようなときがあります。役職に就きながらも、周りの人の立場を想像してより良いものを共創していくことができるように意識しています。

将来どんな風に生きていくかは、まだ全くの未定です。自分の事業を立ち上げるか、国家の中枢に入って責任ある仕事をするか、お客さんの顔が見える仕事をするか、正直わかりません。

ただ、どんな環境であれ、まっすぐ生きている人・努力している人が、正当に報われる社会にしていきたい。そんな社会にしていくべく、自分に与えられた恩恵と責任をしっかり背負って生きていこうとは心に決めています。

みんな、それぞれの人生がある。それがおもしろい。

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幼いころにスペインに住んでて、そこでサッカーを始めたんです。……というと、始め方はすごい本格的ですよね(笑)そのあと小中高とずっとサッカーをやっていて、高校ではキャプテンも務めました。

小学生の頃はずっと遊んでいる子供でした。中学受験をしたのですが、小5くらいまでは塾が嫌いで(笑)公園で遊んだりゲームしたり、わんぱく小僧でしたね。
中高一貫校で、サッカーを部活としてやりながらも、将棋やカードゲームにはまったり陸上やってみたり……やっぱり遊んでばかりでしたね。文化祭や体育祭の行事も全力で。大学受験の勉強は、直前から。典型的な男子ですよね。

スポーツ観戦なんでも好きなんですけど、今は特にNBAが好きです。見たことありますか? 絶対見た方がいいですよ!! NBAの何が面白いって、プレーの華やかさよりも、プレイヤーに注目する素敵なリーグであるという点だと思っていて。その人がどう生きてきたか、なぜバスケをするのか、人生哲学をコート内外でどう表現するか……プレイヤーのストーリーが紹介されます。プレイヤーだけじゃなくて、レフェリーや、アリーナの警備員、観客に至るまで、NBAを作り上げる人、一人一人にフォーカスするんです。みんな、それぞれの人生がある。それがおもしろい。……さっきの紅白の演歌の話にもつながってますね。

読書も好きです。今読んでいるのは、オーウェルの「1984」。いわゆる「古典的名著」を、法学をきちんと消化し始めた今だからこそ、せっかくだからと思って読んでいます。「『読んだことない本なのに、人に聞かれると読んだことがあるフリをしてしまう』というパターンは、実は世界共通だ」と何かのアンケート結果で読んで、ほっとした反面「読んだふりしないで、ちゃんと読んでおこう……」と思った、という話は内緒です。

この本でも、生き方や社会について、何が「善い」かということを考えされられます。答えは簡単には出ないし、ずっと出ないかもしれない。でもだからといって、その問いから逃げたくもないなと思っています。

自分はアタマがイイと思っている人にオススメ

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前田塾5周年記念パーティー(2018年)

前田塾とは、去年の夏合宿が最初ですね。Bizjapanはもともと、立ち上げ時に前ちゃん(編集部注:前田恵一 前田塾塾長)にすごくお世話になったんです。0期生、1期生は多くのメンバーが前田塾で学んでいたそうですが、最近ちょっと団体として疎遠になっていたこともあり、久々に関係復活させようということで、先輩から「行ってみないか?」と声をかけられて。先輩と一緒に僕が行くことになりました。

合宿の中では、課題に対して、その時の好奇心を爆発させて、調べて考えて何も知らないところから積み上げていく、という体験が、久々に楽しかったです。

合宿から帰って、しばらくして、大きな枠組みの部分で変化があったことに気付きました。経済の講義もあって、お金をいろんな形から扱うんですね。「お金って何だろう」に立ち返る。いろんな要素がある中で、「お金=価値の代替・見返り」という部分が腑に落ちて、世の中の見え方が「価値」の流れとしての構造で捉えるようになりました。

そのあとトップキャリアコースにも参加しました。ちょっと背伸びでしたね(笑)。時間をちゃんと割くことができなかったかな、と思う部分はありますが、内容はすごくおもしろかった。トップキャリアコースには、何が欲しいのか、求めるものを明確にしてから参加すると、より得るものが大きいでしょう。

トップキャリアコースの講師の方々は、確かにビジネスの最先端にいて、なかなか話を聞けない人ばかり……だけど実は、学生という立場だと、自分で動いて「話を聞きたい」と言えば会っていただけることもよくあります。学生の特権ですね。多くの方のご好意に甘えさせていただいていること、謙虚に感謝しながら吸収していきたいと思っています。

前田塾は分からないことを分からないといえる場。自分なりに考えることから始まります。

合宿は、自分に見栄張っちゃう人、自信がある人、自分はアタマがいいと思っている人に、お勧めします。この表現で、「あ~、自分のことだ」って、分かる人は分かると思います(笑)。「資格を取るわけじゃないから必要ない」と逃げて済ませたいような、だけどちょっぴり大切な内容を、専門問わず学べます。

前ちゃんは……おもしろい人ですね。楽しい人です。しっかり社会人なのに、子どもです(笑)実は夏合宿のとき、大阪にすごい台風がきて帰宅できなくなったんですよ。そしたら前ちゃんが「みんなでもう一泊延泊して、徹夜で人狼やろう」って提案して、ほんとに一晩中人狼をやって。アホだけど、めちゃめちゃ楽しかったですね。

分からないことを聞けば、何の見返りも期待せずに、いろいろと情報や知識を提供してくれる社会人の方もいらっしゃいます。pay forwardしてくださるんです。前ちゃんが、そうしてくれた一番最初の人。僕がのびのびと頑張れたのも、その優しさのおかげです。

Bizjapanでは、前ちゃんを招いて前田塾無料講座を年に数回開催しています。僕も参加して毎回受けていますが、何度聞いても学びがあるし、後輩にも伝わっていくことがとても嬉しいです。

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 初対面の緊張を一瞬で和らげる優しい笑顔。話し上手で聞き上手。途中何度か脱線しながら、楽しいインタビューとなりました。

みそかのこたつで聞いた演歌が、人生の重要なモチーフになる。どんな人生にも、「宝物」と呼ぶにはあまりにも素朴な、だけどその人を築くエピソードが隠れています。

「みんな、それぞれの人生がある。それがおもしろい」

私もそう思います。

第8回 飛佐 洋平さん(トップキャリアコース1期生)

今回は、塾長前田と同郷、鹿児島県出身の飛佐洋平さんをご紹介します。

一児の父でもある飛佐さん。大学院で上京、転職を経て、着実にキャリアを重ねてきた彼が、U30ギリギリでトップキャリアコースに参加した理由は……

[Text: 西岡妙子] 

一人ではできないことをチームで達成していく

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現在は、IT企業にて、プロジェクトマネジメントに従事しています。 大学院卒業後、大手電機メーカーのSIer( システムインテグレータ)として就職し、数年前に転職しました。

SIer時代は、発注者の注文に従い、契約の中でITシステムを開発していました。立場上、途中でもっといいやり方を思いついても、仕様通りに作らなければなりません。受発注という関係上、そこを、踏み越える事は難しかったです。それをどうにかしたかったけれど、個人の努力というよりはビジネスの構造上の問題なので、「意思決定をする側に回りたい、もっと事業に寄り添ったビジネスモデルを追求したい」という思いから、転職に至りました。実際発注側に回ってみると、思っていたほど自由ではないのですが(笑) 

今の業務は比較的大規模な開発で、立ち上げからリリースまでの期間が長い。そこが面白いといえば面白いのですが、振り返りや改善のスパンが長すぎて、意識的に細かく見ていくなど工夫の必要性を感じています。 

ずっとITの分野で仕事をしてきて、今は、開発だけでなくマネジメントにかかわるようになりました。組織作りとものづくりに共通する部分、また、一人ではできないことをチームで達成していくことに、魅力を感じています。 これからはIT以外の分野にも挑戦してみたいですね。 

マネジメント業務がメインになってから、学生の頃にも読んだのカーネギーの「人を動かす」のすごさを再発見して、驚かされています(笑)。本に書かれていることを実際に試してみると、ほんとにうまくいく。古典の価値を見直しました。

まだ漠然としてはいますが、将来的には今の仕事とは別に、自分で何か事業を立ち上げてみたいなと思っています。実家が鹿児島で、農業をやっているんですが、その家業を単純に継ぐのではなくて、何か違う形で貢献できないかなと考えています。 

地方の第一次産業には、家族経営の小さな事業がたくさんあって、それってものすごい資産と知識の集合体なんですよ。でも、若い人はやりたがらない。価値があるのはわかっていても、「もったいない」と思っていても、東京はじめ都市のほうが稼げるし……。僕だって、東京で働いています。

課題の根は深いですが、日本を支える基幹産業ですし、解決するだけの価値は大きいと思っています。 

休日は家族でゆっくり。子どもと遊ぶのが楽しい。

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子どもとお散歩

 

実家は鹿児島県の大隅半島にあり、中学卒業までそこで育ちました。一番近いコンビニまで10キロ。一学年30人の学校で、保育園から中学校までずっと一緒でした。今はまさに少子高齢化のど真ん中で、学校の統廃合が多く出身中学も既に廃校になっています。

畜産農家だったので、牛のお産を見たこともあります。あと、自家用のコメは家で作っているので、今も送ってもらっていて、すごく助かっています(笑)。

自然豊かな場所ですが、僕自身はインドア派で、一人遊びや工作が好きな子供でした。中学校に入って、変われるかなと思って、生徒会に立候補しましたけど、基本的にはリーダーではなくてフォロワータイプでしたね。

中学卒業後、町を出たいという思いもあって、高専に進学し、3年間は寮生活をしました。高専は結構勉強が大変で、単位落とす人も多く、留年も珍しくありません。当時はそういった状況に驚いたんですが、高専に行こうと決めるのって、14歳とか15歳なので、入学後「やりたいことと違った」と気づいて、勉強にモチベーションが保てなくなるのも無理はないかな、と今は思いますね。

その後、専攻科に2年通って、大学院で東京に進学しました。 ちょうど2011年3月11日。引っ越しが大変だったのを覚えています……。

今は妻と息子が一人、3人家族です。妻も同じ高専出身で、卒業後エンジニアとして働いていましたが、育休から復職するときに、時短など勤務形態のジョブチェンジの希望がなかなか条件が合わなくて、前ちゃん(編集部注:前田塾塾長 前田恵一)に相談して転職しました。家族共々お世話になってます。

息子には、「好き嫌い」が言える、意思をはっきり言える人になってほしいと思っています。普段、よく歌ったり踊ったりしてるので、意思表現は今のところ大丈夫そうです(笑)。それから、相手の立場に立てる思いやりのある人になってほしいですね。

共働きなので、貴重な休日は家族でゆっくり過ごしています。 子どもと遊ぶのが楽しいです。

若い世代の優秀な人たちに出会いたくて

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2011年 ビジネスメンターシップ 初日

前田塾との最初の出会いは、院生時代に見た「ビジネスメンターシップ」のFacebook広告でした。理系ってどうしても専門分野で閉じてしまうので、ビジネスに関心がある同世代のつながりを広げたい、と思って参加しました。2011年のことです。

当時の友人とは今も仲がいいし、いつか何か一緒にやりたいと思えるような仲間に出会えたと感謝しています。そして、そのあと妻の転職で前ちゃんにお世話になって、それからトップキャリアですね。 

U30なので、僕は年齢制限ギリギリでしたが、若い世代の優秀な人たちに出会いたくて、参加申し込みをしました。ITの世界では、10歳上の人より10歳下の人のほうが怖いんですよ(笑)。コンピュータ性能の向上や勉強のハードルはどんどん下がっているので、僕らが何時間もかかっていたことを、彼らは数分、あるいは一瞬でやり遂げることもあります。年下の人たちの考え方を知りたい、みんなの思考と意識に興味がありました。 

参加したいと思ってからは、家族会議です(笑)。月に2回、休日に出かけるわけですから、妻に育児を任せることになるし、予算の面でも……(笑)。でも、妻も前田塾のことはよく知っていて前田さんを信頼しているし、転職先のCEOも講師になっていることもあり、もろもろ調整して、参加できることになりました。 

受講して、様々な分野の見聞が広がりました。例えば、政治について、恥ずかしながら成人してからも「投票は行く」という程度であまり興味を持てなかったのですが、トップキャリアで意識が変わって、自分事として考えられるようになりました。 

知識習得の場ではありますが、でもスキルや知識よりは、業界を跨いだつながりが持てることが最大のメリットではないでしょうか。10年、20年と付き合っていける、一緒に仕事をしたいと思える仲間に出会えます。 

前ちゃんは、とにかく頭がいいし、回転早すぎると思うこともあるほどですが(笑)、人に寄り添い、一緒に考えてくれる人です。ただ場を転がす、回すのではなくて、一人一人の人生観を掘り下げ、向き合ってくれます。だから信頼できるんです。 

今、前田塾で開講している「ビジネス数学」や「AI」の講座もおもしろそうだと思います。もっと手前の、データサイエンス系とか、プログラミング系の講座も、とっかかりとしてニーズがあるんじゃないでしょうか。 

それから、地方の子たちにも、前田塾に出会う機会があるといい。僕は東京に出てきたからこうやって知り合うことができたけれど、能力があっても、機会が無い若い人はたくさんいる。こんなに人生が広がることも、選択肢があることも、高専のころの僕は知らなかった。 

前ちゃん本人に会えるのが一番ですけど、前ちゃんと話をするだけでも視座が上がるので、別の形でも、地方にも届くといいですね。

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東京に暮らしながらも、育った町のことはいつもどこか胸にある。

地方から都市に出てきた方は、思わず共感されると思います。

「今、自分にできること」に、地に足つけてじっくり向き合いながら、遠い故郷のこと、広い社会全体の課題を視野に入れています。

彼にとって、解決するために今やるべきことは、チームを作ること、チームの作り方を学ぶこと。それが彼の道。どこへ繋がっていくのでしょうか。

紛糾している大学入試改革によって浮き彫りになった教育と機会の格差は、実は深刻な問題です。何が必要なのか、どんな働きかけができるのかーーー前田塾も、飛佐さんから刺激をもらいました。